第2回囲碁シニア八傑戦の予選が6/26に、順位決定戦が7/3に行われ熱い熱戦が繰り広げられた
26日の予選には32名が参加。
今回の特徴は、大会方式が関心を呼んだか、レジェンドと呼ぶにはまだ若すぎるが
県代表クラスの強豪たちが多く集まったことだった。
喜ばしいことだが、次回は、低段者にも多く参加してもらいたいし、棋力別に二クラスに分けることも検討したいと考えている。
初日に予選リーグ3局が行われた結果、8名が翌週の順位戦に進出した。
そして3日に同じく3局の順位戦が行われ、以下の方々が入賞した。
優勝 四十物栄(黒部市)
二位 蔵島大造(富山市)
三位 松島和夫(富山市)
四位 山根 清(滑川市)
五位 滝田義正(射水市)
六位 菊地一秋(高岡市)
七位 吉村健治(南砺市)
八位 野坂義信(富山市)
また、当大会は11月に開催予定の「ねんりんピックかながわ」の県代表決定戦も兼ねており、蔵島さん、松島さん、山根さんに決定しました。
入賞そして代表になられたみなさん、まことにおめでとうございます。
今回も、いろいろな交流やドラマがあり、みなさんには有意義な時間を過ごしていただいたようだ。
が、何といっても圧巻は、天野光正さん97才!の参加だった。第1回から、欠かさず連続出場を続けており、近年では全国大会に出場されると、いつも最高齢選手として各地で表彰を受けられていたほどだ。
今回は、大会が近づいても申し込みの連絡がなかったので、お電話すると、たまたまご在宅だったが、翌日には病院に戻らないといけないとのこと
「ながく出場を続けたが、どうにもどの医者が許してくれなくてね。今回は諦めます」そうですか、これまでも何度も病院から参加されていたのだがさすがに難しそうだ。
「残念ですが、では今年は休んでいただいて来年の参加を目指しましょう。」しかし奇跡が起きた。翌日天野さんから
「医者の許しをもらいましたよ。迷惑をかけるかもしれないが、よろしく頼みます」おお、天野さんの熱意が主治医を動かしたようだ。
「わかりました、では対局を存分に楽しんでください。」
で、考えた。天野さんの想いに応えるべく何かできないかな。
そこで、開会氏の席上で、特別表彰・感謝状を贈ることにした。審判長の下島陽平八段にも事情をお話しして色紙をお願いすると「青春常在」としたためてある。なんてステキな今の天野さんにぴったしな言葉だろう。
ご挨拶いただいたのだが、これが素晴らしかった。
「長いシベリア抑留から戻り、32才で碁を覚えて楽しんできたが碁は人生を豊かにしてくれた。人間は生きている間は人の役に立てるようしっかりと働かなければいけない」数十年前の天野さんがお元気で活躍されてる頃が浮かんでくるようだった。そして
「最後にもう一言だけ。みなさん、奥さんには互先でも絶対勝てっこないのだから、大事に大事にしなければいけませんよ」圧巻とはこのことか、我が意を得たとばかりにうんうんうなずく参加者のみなさんのひときわ高い拍手が会場を包んだ。ある方は「挨拶を聞けただけでこの大会に参加した意義があるよ。来年は天野さんと対局させてもらえないかな」と大変喜んでおられた。
天野さん、ここまできたらぜひ区切りよく100才での参加を実現させていただきたいです。60代・70代はまだひよこ、80代でもどうだかな、との天野さんの声が聞こえてきそうな気がする。これからも後に続く愛好家のみなさんの希望の星であるようにお元気で囲碁を楽しんでいただきたいものです。
記事・写真:廣田 徹
編集:hide
26日の予選には32名が参加。
今回の特徴は、大会方式が関心を呼んだか、レジェンドと呼ぶにはまだ若すぎるが
県代表クラスの強豪たちが多く集まったことだった。
喜ばしいことだが、次回は、低段者にも多く参加してもらいたいし、棋力別に二クラスに分けることも検討したいと考えている。
初日に予選リーグ3局が行われた結果、8名が翌週の順位戦に進出した。
そして3日に同じく3局の順位戦が行われ、以下の方々が入賞した。
優勝 四十物栄(黒部市)
二位 蔵島大造(富山市)
三位 松島和夫(富山市)
四位 山根 清(滑川市)
五位 滝田義正(射水市)
六位 菊地一秋(高岡市)
七位 吉村健治(南砺市)
八位 野坂義信(富山市)
また、当大会は11月に開催予定の「ねんりんピックかながわ」の県代表決定戦も兼ねており、蔵島さん、松島さん、山根さんに決定しました。
入賞そして代表になられたみなさん、まことにおめでとうございます。
今回も、いろいろな交流やドラマがあり、みなさんには有意義な時間を過ごしていただいたようだ。
が、何といっても圧巻は、天野光正さん97才!の参加だった。第1回から、欠かさず連続出場を続けており、近年では全国大会に出場されると、いつも最高齢選手として各地で表彰を受けられていたほどだ。
今回は、大会が近づいても申し込みの連絡がなかったので、お電話すると、たまたまご在宅だったが、翌日には病院に戻らないといけないとのこと
「ながく出場を続けたが、どうにもどの医者が許してくれなくてね。今回は諦めます」そうですか、これまでも何度も病院から参加されていたのだがさすがに難しそうだ。
「残念ですが、では今年は休んでいただいて来年の参加を目指しましょう。」しかし奇跡が起きた。翌日天野さんから
「医者の許しをもらいましたよ。迷惑をかけるかもしれないが、よろしく頼みます」おお、天野さんの熱意が主治医を動かしたようだ。
「わかりました、では対局を存分に楽しんでください。」
で、考えた。天野さんの想いに応えるべく何かできないかな。
そこで、開会氏の席上で、特別表彰・感謝状を贈ることにした。審判長の下島陽平八段にも事情をお話しして色紙をお願いすると「青春常在」としたためてある。なんてステキな今の天野さんにぴったしな言葉だろう。
ご挨拶いただいたのだが、これが素晴らしかった。
「長いシベリア抑留から戻り、32才で碁を覚えて楽しんできたが碁は人生を豊かにしてくれた。人間は生きている間は人の役に立てるようしっかりと働かなければいけない」数十年前の天野さんがお元気で活躍されてる頃が浮かんでくるようだった。そして
「最後にもう一言だけ。みなさん、奥さんには互先でも絶対勝てっこないのだから、大事に大事にしなければいけませんよ」圧巻とはこのことか、我が意を得たとばかりにうんうんうなずく参加者のみなさんのひときわ高い拍手が会場を包んだ。ある方は「挨拶を聞けただけでこの大会に参加した意義があるよ。来年は天野さんと対局させてもらえないかな」と大変喜んでおられた。
天野さん、ここまできたらぜひ区切りよく100才での参加を実現させていただきたいです。60代・70代はまだひよこ、80代でもどうだかな、との天野さんの声が聞こえてきそうな気がする。これからも後に続く愛好家のみなさんの希望の星であるようにお元気で囲碁を楽しんでいただきたいものです。
記事・写真:廣田 徹
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